誕生~小学生 不幸の連続?

誕生~小学生 不幸の連続?
中学編 倒産ですか?受験編
高校編 バラ色の3年計画!
就職編Ⅰ ホテルマン~工場
就職Ⅱ前編 営業マン・ 出世計画
就職編Ⅱ後半 マネジメント・育成
誕生~小学生 不幸の連続?
1970年4月21日、建築板金業を営む、祖父、父、母、兄の、”お気楽次男坊”として、福岡県大牟田市の炭鉱の町にうまれる。
お世辞にも上品とは言えない、アメリカに例えるならスラム街のような街で(高校の時知り合った友人の母に「あら~ガラが悪い所にお住みで~」と言われた事があるくらい、本当にガラが悪かった(笑)
朝から飲んだくれたオヤジや、ステテコ姿に紫のラメ入り腹巻で外を闊歩するそんなオヤジも珍しくない、繁華街まで歩いて10分、港まで歩いて10分という、海の荒くれ者と、夜の怪しげな商売をする者が入り乱れる、好立地?に生まれ育つ。
幼稚園の運動会では、紅白リレーのアンカー、お遊戯会では主役を務める一方、高級外車のフロントガラスを石を投げて割る、遊具でムチャな遊びをし骨折するなどの、やんちゃでした。
実家は商売をしていたものの、恐ろしいほど貧しかった。
どれくらい貧しかったかと言えば、ある日夕食に刺身が出た事がありました。めったに食べる事が出来ない当時6歳の自分は、もう食いたくてしかたがなく、「2切れだけ食べてもいい」と言われたのを、父が新聞を読んでいる隙に”4切れ食った!”するとバレて、「でていけー!!」と冬の寒空のなか(たしか夕方6時半くらいだったと思う)外に放り出されるくらい貧しかったです。
家庭以外では順調でしたが、小学校3年の時、早くも挫折を味わう事となりました。
自由にテレビを見る事が出来なかった自分は、クラスでの話題についていけず、仲間ハズレにされました。
自分の言いたい事や、やりたい事を曲げ、みんなにひたすら話を合わせました。
そしてその時「イジメから脱出する為には、イジメる側に廻るしかない!」そんな考えしか当時はおもいつかず、今度はイジメる側に廻り、同じ事を繰り返しました。(今思えば、他に解決策があったのではないか?と考える時があります)
人生2度目の挫折は、来るべきして来たと言うべきか・・・
小学校4年生(10歳)の時、家業である建築板金が、おそらく傾き始めていたのでしょう、父に虐待を受けるようになりました。
それが虐待と言えるかどうかは、その当時そんな言葉もなかったし(知らなかっただけ?)わからないが、借金取りの電話に出た事を理由に、電話帳でボコボコに殴られていました。そんな理不尽な理由で殴られる事は、度々ありました。
その頃は、電話の音に怯え、取立てに来る借金取りに怯え、家でゴロゴロする父にも怯える日々でした。
とにかく家にいる事が嫌いで、平日は夜の8時~9時には布団に入り、家族が寝ている5時には起き、家族が起きる7時位には学校に通っていました。
そして土日は、母方の祖父母の家に泊まりに行く、という生活を繰り返していました。
しかしそんな自分にも、転機が訪れたのです。
小学校5年生11歳の時、なんと1コ上の彼女が出来たのでした。
小学生で彼女~!とお思いだろうが、「付き合って?」、「いいよ」と言う言葉のやり取りが合っただけで、学校で手紙のやり取りをする程度。
デートといっても別のカップル(今どきカップルとは言わないだろうが・・・)と一緒に、デパートの屋上でジュースを飲むくらい。かわいい、お付き合いでした。
子どもながらにも彼女が出来た事で、心がウキウキしていた事はたしかで、その時々起こる不幸に耐えられたのは、そのせいかもしれません。
家は相変わらずのビンボーで、その当時流行っていた、ローラースケートラジコン、ファミコンは、もちろん買ってもらえず、その仲間になることは出来ませんでした。
「どうせ家はビンボーさ」とヒネた事はなかったが、恥ずかしい思いは、かなりしました。
イジメられた経験がある為、どうしても仲間の輪に入りたくて、ローラースケートを手に入れる為、廃品回収置き場を探したり、産業廃棄物のゴミの中を漁った事もありました。(汗
そんな事を繰り返すうち、なんと!ついにローラースケートを解体置き場で手に入れたのです!!
ご想像通り、汚れてボロボロの、タイヤも欠けいて丸いタイヤじゃないようなそんなローラースケートでしたが、嬉しくてたまりませんでした。
ローラースケートを手に入れた事が嬉しかったのではなく、
「これで仲間になれる!」
「みんなと遊べる!」
という事が、ものすごく嬉しかった。
そして、ホッと安心したのを覚えています。
それからというものは、繁華街の歩行者天国で夜の8時、9時まで遊んでいました。家に帰るのがイヤだったし、仲間が出来たのがなにより嬉しかったからです。
夜の商売をしている親も多かったせいか、小学生といえども、それくらいまで遊んでいる子どもは珍しくない、そんな土地柄でした。もちろん家に帰ると怒られましたが、”友達を無くしたくない”という気持ちが強く、家での事はとにかくガマンして、ひたすら耐え抜いた小学生時代でした。
まさかこれから先、さらにとてつもなく辛い人生が待ち受けていようとは、この時は想像だにしなかった、1982年冬の事でした。
つづく・・・
中学編 倒産ですか?受験編
トップへ戻る
中学編 倒産ですか?受験編

誕生~小学生 不幸の連続?
中学編 倒産ですか?受験編
高校編 バラ色の3年計画!
就職編Ⅰ ホテルマン~工場
就職Ⅱ前編 営業マン・ 出世計画
就職編Ⅱ後半 マネジメント・育成
中学編 倒産ですか?受験編
中学に入ると、素質?(笑)を見込まれたのか、先輩達から悪の道への誘いが来るようになりました。
タバコに始まり、他校との喧嘩、家出、無免許運転、自動販売機荒しへと発展していきました。
この頃は、「友達さえいればいい、親も兄弟もいらない。」
そんな考えしかなく、親や先生の言う事なんて、一っつも聞きませんでした。
家がビンボーで惨めな思いをするのは、親のせいだ、そんな親はいらない。
不幸はすべて、他人のせいにしていたんです。
(この考えが間違いだと気づくまでは、かなりの年月を必要としました。)
しかし、自分が不良の道へと行ったのは、ただ単にちょっと不良の先輩に憧れて、「かっこよか~」「俺もあげんなりたか~」「モテたか~」と感じたからで、スネていた訳ではありませんでした。
反抗する気持ちはたしかにありましたが、善悪は別として、とにかく、
「かっこよくなりたい」ただそれだけでした。
だから、そんな先輩のマネをとことんしました。
ギターが弾ける先輩がいればギターを練習し、バイクに乗る先輩がいれば、またそのマネをする。
とにかくかっこいいと感じたらマネをして、自分が憧れた先輩のように自分も後輩に憧れられたい、そう思っていたような気がします。

チェッカーズ全盛の頃、髪型真似してました。(笑
そんな中、家庭は相変わらずで、両親の不仲による別居状態となっており、母方の、祖父母の家から、電車で学校に通っていました。
もちろん原因はお金の事で、「ビンボーは人の関係を崩す」、「お金がないと、しなくていい喧嘩をする」という事を、この時つくづく感じ、学びました。そして自分が大人になったら、お金の事で喧嘩をする事だけは、絶対にやめようそう心に誓ったのでした。
家業である建築板金は、完全に傾いており、中学3年生になるころには倒産。
そしてある日父が、「家がこげん状態やけん、私立の高校なら行かせられん。」「授業料が安か県立の高校なら、なんとか通わす事ができる・・・。」「ばってん県立の高校に合格せんなら働いて、自分で食うていけ」と言うのです。中学3年といえば受験戦争真っ只中、ゆくゆくは、ここから将来が決まっていくという大事な時期ですが、自分に当事者意識はなく、貧乏がこの状況を作ったんだ!貧乏が悪い!と人のせいばかりにして、自分が努力する事から逃げていたのです。
そんなこんなで、夏から秋になる頃、憧れていた1つ上の先輩に偶然出会い。
先輩 「お前高校どこ行くとや~?」
自分 「まだ決とらんです。」
先輩 「それなら商業に来い!」
先輩 「商業は良かぞ~、女ばっかしやし」
先輩 「バレンタインチョコは、ゴミ袋一杯もらえるけん!」
先輩 「まっとくぞ~」
と言い残して、バイクで走り去って行きました。
将来何になりたいなんて、具体的な夢がなかった自分は、
「じゃあ商業に行ってみるか、女子も多い事だし・・・・」
なんて不純な動機で進学先を決める事となりました。
それから調べてみると、受験可能な県立高校は6校、うち商業はレベル的に、真ん中の3番目だという事が解りました。
志望高校を最終決定する3者面談の時「商業に行く」と言うと、先生から
「ムリです。・・・・」
「成績からみれば、100%落ちます。」
当然そんな答えが返ってきました。
しかし「いや、ここ以外は受験するつもりはなかです!」ときっぱり断りました。
しかし成績はほとんどアヒル(5段階評価の下から2番目、数字の2がアヒルに似ているので、仲間内では2の事をアヒルと呼んでいました。)
体育と技術は4ですが、残念ながら受験には、まったく関係がありません・・・クラブ活動はバスケットをしており、キャプテンとして市の大会ではベスト3に入り地区大会に出場する事もありましたが、これまた受験には、まったく関係がない・・・当然スポーツ特待も期待できない。
こんな状態でした。
しかし先輩から言われた言葉が頭から離れない
「商業は良かぞ~・・・・」
「チョコがい~っぱい・・・・」
「女子がい~っぱい・・・・」
頭の中の図式はすっかり
女子がい~っぱい×チョコがい~っぱい=”テモテ、かっこよか~”
しかし一方では
私立は行けない×一人ぼっち=”かっこわる~”
こんな図式も浮かんできました、
「マ、マズイ・・・・」とにかく勉強しなくては。
それから受験日までの作戦を練る事に・・・
1 タイムリミットは3ヶ月・・・
2 苦手科目を克服する時間はない・・・
3 国語・数学・理科・社会・英語・のトータル点数で合否が決まるとの事、
以上の事から、「よし!それなら思い切って苦手科目は捨てよう!」
そして、その他の科目でトータル点数を上げよう!という無謀とも言える作戦に出る事にしました。
それから受験日まで、家へ帰ると1日7Hの勉強をしました、まず過去の県立入試問題集をパクり、問題の傾向を調べ、それが解けるよう勉強しました。
授業料が高い私立には行けないので、スベリ止めは受験する必要はありませんでしたが、雰囲気をつかむ為、叔父に受験料を借りて、受験体験をする事にしました。(受験料を借りるほど貧乏な家って・・・なかなかないですよね(汗))
結果は~、・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 「見事合格!」
と言ってもレベル的には恐ろしく低く(名前を書けば合格~、そんな噂もあるくらい(笑))よっぽどじゃないかぎり、大抵受かるらしいところでした。しかしここで、かなりの自信が付いた事には、間違いありませんでした。
ここで入学金の一部を納めないと、合格は取り消しになる・・・・
しかしそんなお金はないし、どうせ通えないので当然収めませんでした。
そして、いよいよ本番の県立高校入試日!・・・・・
手ごたえナシ・・・でも今更どうしようもない・・・
「とっ、とにかく結果発表を待って、それから今後の事をゆっくり考えよう」
そう自分に言い聞かせました。
しかし心の中では、「かっこわる~」
頭の中では、「中卒で雇ってくれる所は、職人?肉体労働?」
などと、ぐるぐる回っていました。
そんな日々を過ごしながら、運命の結果発表の日。
発表の時間と同時に見に行きたい、そんな気持ちをグッとこらえて、30分後に見に行く事にしました。
落ちてた時、周りに知り合いがいたら、「どんな顔をするとよかと?」そんな気持ちからでした。
駅から高校まで歩いて行く途中、同じ中学の女子と出会い、
(よし!一人で見れる!と安心)するとその内の一人が、
女子 「今から見に行くと~」
自分 「そ~今から~」
女子 「どっちか教えてやろ~か~?」(ニヤリ)
自分 「うん・・・・・・・」
自分 「やっぱりやめた!!自分で見るったい!!」
(あわてて言い直しました)
女子 「そ~よね~自分で見た方がいいかも・・・」
「じゃあね、バイバイ」
心の声(なんや~その意味ありげな言い方は~)と思いました。
そしてニヤリとした顔を思い出しながら不安を抱えて掲示板を覗くと・・・・・
「ヨッシャ!!受験番号23番、3ヶ月の努力の甲斐あり、見事合格です!」
すでに頭の中は、女子がいっぱい×チョコがいっぱい=かっこよか~×単車に乗ってますますモテモテ。
イメージでは、単車の後ろに彼女を乗せ、海岸線を走る姿が浮かんでいたました・・・
「かっこよか~」
(この時妄想の世界にどっぷり浸かっており、掲示板の前でニヤニヤした自分の姿を見た人はきっと、「この人壊れと~」と思ったに違いありません。)
つづく・・・
高校編 バラ色の3年計画!
高校編 バラ色の3年計画!

誕生~小学生 不幸の連続?
中学編 倒産ですか?受験編
高校編 バラ色の3年計画!
就職編Ⅰ ホテルマン~工場
就職Ⅱ前編 営業マン・ 出世計画
就職編Ⅱ後半 マネジメント・育成
高校編 バラ色の3年計画!

モテモテを夢見て集まる野郎達!
入学した高校は、1学年270名、内男子は30名
240名×3学年=女子720名
30名×3学年=男子90名の
ほぼ女子校状態!
電車通学をしていたが、同じ駅で降りる最寄の高校がもう一校ありました。それは、ミッション系の女子校で4~5両編制の車両はまさに、女子一色!その電車に乗っている男子は知らないやつはいない!と言うほど、男子は少人数でした。
ですから、通学中も、廊下を歩いても女子、右を向いても左を向いても女子これからの3年間は、バラ色の人生がまっている~ヒィヤッホ-
と、思ったのもつかの間、これだけ女子が多いと女は強い!
肩身がだんだん狭くなってきました。
しかも、贅沢なもので、ないものが欲しくなる、もっと男の友達が欲しい!状態になってきました。
昭和60年代、バンドを組んで、単車を転がし、ちょっぴり不良だったら、誰でも、もてた時代、贅沢は言ってみたものの、やはりイメージトレーニングを積んだ、”バラ色の3年計画”のスタートをきる事にしました。

バラ色の3年計画の1つ
同じ高校に通う男どもは、みなモテモテをイメージしてやって来るので、バンドを組む事は簡単でした、仲良くなった友達がすぐに、「バンド組もーや」と言い出しました。
”ヨッシャ!”あとは単車(中型二輪)の免許を取ってバイクを手に入れるだけだ!
しかし先立つものはない・・親に頼るのは当然ムリ・・しかしここで諦める訳にはいかない。
そこで、学校では禁じられていた、アルバイトをする事にしました。
見つかれば停学ですが、その他の選択の余地はありません。
そして探し始めると、すぐに中学の先輩が、「私バイト辞めるけん、あんた変わりに入る~?」と声がかかりました。その先輩は中学の時から、かわいいと評判の先輩だった為(もちろん女子)時給も業種も聞かず、すぐさまOKしました。
「こんにちは~千夏さん(仮名)の変わりにアルバイトしたいんですが~」と、訪ねた先は、居酒屋!しかも夕方6時から深夜3時までの激務!(全然、遊ぶ時間ないじゃん!)
そう思ったが、今更やめときます、とは言えないので、とりあえず、やる事にしました。
朝8時に家を出て学校へ行き、夕方4時には家へ帰り、6時から深夜3時までの激務に5ヶ月間なんとか耐え、免許を取る位の、お金を貯める事が出来ました。
無事、自動車学校も卒業し、今度はバイクを買う為に又バイトをしなければなりません。しかし激務は嫌だ!全然遊べないじゃないか!
そして次にとった行動は、電話帳を片手に、近所の喫茶店に片っ端から電話をかけました。すると、運良く10件目くらいに、「面接に来て下さい。」との事で、めでたく採用、その日からバイトをさせてもらう事となりました。
今度は夕方5時から8時までの夕ご飯付き、日曜は10時から5時までという時間帯で遊ぶ時間も十分あります。
しかし1つ問題が・・、まとまったお金にならないので、バイクが買えないのです。
でもバラ色の3年間は、残り2年と2ヶ月になっている・・・
マズイ・・・どうにかしなくては。
ダメ元で、今度はバイク屋を片っ端から訪ね、ローンで買えないか交渉して歩きました。しかし高校生なので、当然ローンは組めない、両親の名前を借りてもダメ。
万事休す、やはり激務に耐えるしかないのか・・しかし時間が・・・。
そんな自分を見て母が、こう言い出してきました、「知り合いがバイク屋さんをしよるけん、頼んでみるね・・・?」
それしかない!!そのバイク屋さんを母と一緒に訪ねる事にしました。
しかし、やはりと言うべきか、正規のローンは組めない。
(でも残す道は、ここしかない!)
「今バイトをしていて、必ず毎月キチンと払います。」
母と二人でお願いしまくり、何度も何度も頭を下げました。
そしてついに毎月2万円の25回払い、ノートに毎月の支払い日と金額が書いてあり、支払ったらハンコを押してもらうという、バイク屋さん自家製ローンが誕生したのでした。
「ヨッシャ!!」
又一つ、バラ色の3年計画が、イヤ、2年と2ヶ月計画が進んだのでした。

腐ってました(笑
しかしどこから情報を仕入れたのか、納車のわずか3日後には、またしても素質?(笑)を見込まれたのか、暴走族の幹部から熱烈な勧誘が・・・
それからは、バイトが終わると深夜の町に爆音を撒き散らし、朝方家に帰り、学校に行く、という生活を繰り返していました。

学校は好きで、毎日通いました。ほとんど寝てましたがzzz
朝、机で寝ていると、目が覚めたら5時間目の終わりのチャイムと言う事が
ありました。
「おいおい、お昼には起こしてくれよ・・・」と思ったが、友人いわく、あまりにも爆睡していたので、起しにくかったそうです(笑
先生いわく「面倒になるけん、起こさんかった」と軽く流していました。こういうオープンな友達に近い先生が多かったので、学校が好きだったのかもしれません。(笑)
暴走族といえば、ヤ○ザ屋さんとのつながりも当然あり、事務所に呼ばれる事も度々ありました。
暴走族→ヤ○ザ屋さんという、ある意味エリートコースを突っ走る人も多く、
「いい車乗って、いい飯食って、いい女ば抱きたかろーが!オー!!」
という決め台詞で、おもわずそっちの世界に入りかけた事もありました。
しかし時代はバブルの絶頂期!とりあえず受けた就職試験で、某航空会社系列のホテルへ就職が決まりました。(現在表の世界に居れるのは、時代のおかげかも?笑)
その当時の自分は、バイトで小遣いを得ていたので、「学校に通ってた時間に仕事をすれば、もっと稼げるかも」なんて甘い考えしかなく、大学進学なんてこれっぽっちも考えませんでした。
今思えばもったいないですよね~。
今度は車の免許を取るために、バイクを後輩に譲り、円満引退?
その後、その筋の人達との繋がりは、じょじょに薄くなっていきました。
バイクを売ったお金で車の免許を取り、残りのローンも返しましたが、お小遣いなど、貰えませんので、又、バイトの日々です。

当時流行ってた、ディスコで遊びほーけていた頃です。
今度は、全国チェーンのレンタルビデオ、CD店でした。
就職も決まり、その筋の人達との繋がりも薄くなっていたので、時間だけはあり、日祭日はスーパーの駐車場で整理誘導員のバイトもかけもちしました。そして、これから起こる波乱万丈の社会人生活に突入していくとは露知らず卒業までの日々をバイトと当時流行っていたディスコに費やしたのでした。
つづく・・・
就職編Ⅰ ホテルマン~工場
トップへ戻る
就職編Ⅰ ホテルマン~工場

誕生~小学生 不幸の連続?
中学編 倒産ですか?受験編
高校編 バラ色の3年計画!
就職編Ⅰ ホテルマン~工場
就職Ⅱ前編 営業マン・ 出世計画
就職編Ⅱ後半 マネジメント・育成
就職編Ⅰ ホテルマン~工場
3月末、会社の寮へと入り、社会人生活が始まりました。
寮と言っても、会社が借りた普通のアパート(マンション?)で、3LDKに4人入居で、食事は自炊でした。
4月に入ると、研修が始まり、朝の9時~18時まで、みっちり1ヶ月間
”サービス業とはなんぞや?”~身だしなみ、ヒゲの剃り方から、調度品、言葉使い、スマイルまで。
とにかくお客様第一主義、何が何でも満足させる、という事を叩き込まれました。
配属された先は、メインダイニングと呼ばれる、フランス料理のサービス係りでシェフとのやり取りは全てフランス語でした。しゃべれないとオーダーが通りませんし、何名のお客様が来たかも、伝えられません。
当然フランス語も勉強しました。(ちなみに、シェフは日本人ですが)
「え~半年前まで暴走族が、フランス語~」と、おおもいでしょうが、本当なんです。
自分でも「俺様が、おフランス語???」なんて調子でした。
「アン・ドゥ・トゥワー=1・2・3」
(へ~、バレエで聞いた事はあるけど、数字だったんだ)こんなレベルでした・・・。
バブルが弾ける寸前という事もあり、お客様は超VIP!1本30万~50万円もするワインをオーダーする人も珍しくなく、残ったワインは、味見としょうし、飲んでいました。
その時いつも「いつかはお客として、こんな高級ワインを注文しちゃるけんね!」
そう思っていました。
そんな時お客様から「一晩一緒に遊んでくれたら、1ヵ月分の給料を、あ・げ・る・」という誘いが・・・(ニヤリ
その人はホテルの地下にある、ブティックのオーナーで、ソムリエとは知り合いなんですが、実は、オカマ!なんです。
「一晩遊ぶとは、どういう意味やろーか?・・」
「一緒に飲みに行けばいいとやろーか?・・」
「いいや、そんなはずはない、相手はオカマぞ!」
悩んだあげく、ソムリエに相談すると、「ちょっと痛いのをガマンすると1ヵ月分の給料くらい、すぐくれる」と言うのです。
チッ!やっぱりそっちか~!・・・。
丁重にお断りしたのは、言うまでもありませんよね・・・。(余談ですが、銭湯でも別のオカマに声をかけられた事があります。オカマに好かれる俺って一体・・・・これも、バラ色の3年計画の成果?)
この時期に学んだ、過度のお客様第一主義、絶対満足は、好き勝手に過ごしてきた、数年間の自分を変えるには、十分であり、その後の、人との接し方には、多大な影響がありました。
その後の人との接し方は、ここが原点となっています。
しかし、多大な影響を与えた、この会社を去る事となる出来事が、今後起きるのです・・・。

新組織を作った頃です。
私は小学生の時から現在まで、二十数年間、地元の祭りに参加しています。
300年の歴史がある祭りで代々引き継がれています。
その伝統ある組織に、19歳の時、新しい組織を作りました。
それは、街事態が衰退し人口が減っていく中、伝統を継承する為にも、子ども達が楽しみにする、そして「あの兄ちゃんのようになりたか~」と言われる大人になろう!という趣旨で、十数名で結成しました。
(その後対象が大きくなり、現在のミッションと、つながっているのだと思います。)

十数年後、増えつづける仲間達!
そして祭りの日が近づいたある日、休暇届を提出すると、「忙しいのでダメだ」という返事でした。私は休みを貰えなかったのです。
マズイ・・・・
祭りに出れない・・・
しかし欠席する訳にはいかない・・・
新組織の活動を始めたばかりで、自分が裏切る訳にはいきません。
そこで悩んだ末、自分が取った行動とは、
「辞めます」と言う事でした。
友人、家族からは、「お前バカやね~」「なんしよ~と」と、言われました。
祭り仲間からは、「いっちょ違うね」「さすがやね!」と絶賛されました。
賛否両論ありましたが、後悔だけはありませんでした。
その組織は今でも活動中で、なにより嬉しかったのが、その当時小学生だった子供達が、
「自分も一緒にやりたい!」
「憧れていました!」
「仲間に入れてください!」
と、言ってくるのです。
会の趣旨だった、「子ども達に憧れられる大人になる」という事は、十分伝わっていたのです。
しかし祭りでは、食っていけません・・・。
その時、物作りにも興味があった私は、財閥系企業が縮小の為作った、アルミニウム加工会社に入社することとなりました。
中学の時から通う床屋のおばちゃんの紹介でした。
偶然お客さんで来ていた、その会社の人に「あんたの所で雇わんね!」の一言で入社が決定!(凄いぞおばちゃん(笑)
この会社は、アルミニウムで、ダイビング船や、自衛隊のミサイルを運ぶ物、空港のカーゴ車と呼ばれる台車など、大量には必要ない、ワンオフ物を主に製造していました。
最初は作る事が楽しくて、夢中でしたが、そこは工場勤務、朝8時~17時までの、時間から時間の仕事で、やっても、やらなくても給料は一緒。
次第に気持ちもなえてきて、勤務時間に、”いかに楽をするか?”それしか考えなくなりました。
このままではマズイ・・・とは思いながらも、楽ばかりを求めて、ズルズルとした生活を送っていました。
今思えば、ブルームの期待理論にそっての事だったのでしょう。
会社側も社内の雰囲気を察し、作業効率を上げる為の案を、募集し始めました。
そこで、今までこっそりやっていた、自分が楽する為に作った作業道具と方法を提出した所、大幅な工程短縮につながり、みごと”社長賞ゲット!”
金一封と粗品を手にする事になりました。
しかし時間から時間の仕事には変わらず、ぬるま湯状態。
将来は「自分で事業を起こしたい」そう思っていましたが、何をすればよいかわからない、そんな状態でした。
しかし、何をするにせよ「営業が出来なくてはダメだ!」そう勝手に思い込み、
営業部に移動を希望するが、
「却下!」今は十分、営業マンの数は足りているとの事でした。
そこで、またしても自分が取った行動は・・・
「辞めます」でした。
将来の事を、「自分で考え、自分で行動する」そんな単純な考えに到達するまで3年も費やしてしまいました。(汗
もっと早く、「目標のために何かをする」という事に気づいていれば、1年でも2年でも早く行動が起こせたはずです。そして、その分早く、目標にもたどり着けたはずです。
ただ毎日に流され、目先の事だけで行動していた時間が、無駄に思えて
しかたありません。
この後、目的の為の営業職につき、大きな転機を迎える事となるのでした。
つづく・・・
就職Ⅱ前編 営業マン・出世計画
トップへ戻る
就職Ⅱ前編 営業マン・出世計画

誕生~小学生 不幸の連続?
中学編 倒産ですか?受験編
高校編 バラ色の3年計画!
就職編Ⅰ ホテルマン~工場
就職Ⅱ前編 営業マン・出世計画
就職編Ⅱ後半 マネジメント・育成
就職Ⅱ前編 営業マン・出世計画
次に入社した会社は、一部上場企業の社員数1500名を超える大企業でした。
(入社当時は未上場、その後3年で一部上場となる)
新設営業所オープンの為、募集があったところに運良く入社。

会社です。
新規開拓の営業マンとして働き出して間もなく、運営部門の上司に出会い、早速「かっこよか~」「俺もあげんなりたか~」という気持ちが湧いてきたのです。
新規営業→運営部門でがんばる→出世→憧れのポジションという図式が成り立つまで5秒とかかりませんでした。(笑
営業を勉強する為に入社したはずなのに、頭の中はすっかり変わっていました。
そしてまず、運営部門に転属出来ないか、その事を所長に相談したところ、
「新設営業所のオープンまで、半年ほどあるので、人員は揃ってない」
「そちらの職種を望むなら、かまわないが、ただし条件がある。」
「今月、新規契約を5本上げたら転属させてもいい」と言うものでした。
さっそく「運営部門に転属+憧れのポジションに行きたい、出世計画!」のスタートです。
転属の為の条件は分かっているので、その後の出世計画は後回しにして、新規契約を上げる事に、全力を尽くす事にしました。
自分は入社1ヶ月で、営業のテクニックはまったくない、と言うよりド素人。
それなら「数打ちゃ当たる作戦」しかない!
(またまた勝手に思い込みました笑)
次の日から、法人への飛び込み営業を、1日30件~40件こなしていきました。
すると、入社月の契約本数が2本だったのが、わずか半月で5本契約する事が
出来たではあ~りませんか!
「ヨッシャ!」第一関門クリヤー!。
次の作戦は、運営でがんばる→出世→憧れのマネジメントです。
具体的な目標は、年度計画の目標数字の達成と、全国の運営部門のセールスマン400名が対象のキャンペーンで、上位20位以内に入るという目標でした。
それは、20位以内に入ると、表彰+研修という名の旅行、なにより、合った事もない全国の社員に名前を知ってもらう事でした。
ここでも自分が取った作戦は、「数打ちゃ当たる作戦」!(タイトルは最悪ですが、
効果は抜群です!笑)
既存のお客さんに、繰り返し買ってもらう事が目的なので、時間は短くてもいい、「よく来る」という印象を、与えようと思い、1日25件~30件の訪問と交渉を続けました。
効率がいいように、地域分けし、一筆書きで走れるようルートを考え、少しでも交渉の時間を作る為、佐川急便のように、駐車場からお客さんの玄関先まで、走って行きました。(夏場などは汗をかいて、走り回っていたので、暑苦しかったかも・・)
東京や大阪の大都市と比べると、地方はエリアが広い為、一人当たりの客数も少なめです。そこで、個人に販売したり、気に入ってくれた人に、他の部署や、友人に勧めてもらうよう、お願いしました。
そしてキャンペーンではベスト10に入り、目標数字もクリアする事が出来、最短の2年で出世!!
ついに、憧れのポジションに付く事ができたのです!!

企画した慰安旅行、私の方が部下みたい?
マネジメントの仕事につき、自分が実践してきた事を、みんなが実践するようになると地方にある新設3年目の営業所でも、全国50ヶ所中、ベスト3に入るようになり、マネジメント部門でも表彰を受けました。
営業職を学ぶ為に入社したのに、「かっこいい人」との出会いが、思わず出世までする事と、なってしまいました。
その人と出会えて、ツイている!ものすごくラッキーでした。
その後、転勤命令により、転勤する事となりましたが、その営業所は開設以来赤字との事・・
「なんとかなるさ~」、家賃も9割、会社が負担してくれると言うしラッキ~(笑
などと、お気楽次男坊全開での転勤でした。

月末の締めが終わり、ホッと一息
しかしこの後、またまた、試練が待ち受けているのでした・・
つづく・・・
就職編Ⅱ後半 マネジメント・育成
トップへ戻る
就職編Ⅱ後半 マネジメント・育成

誕生~小学生 不幸の連続?
中学編 倒産ですか?受験編
高校編 バラ色の3年計画!
就職編Ⅰ ホテルマン~工場
就職Ⅱ前編 営業マン・出世計画
就職編Ⅱ後半 マネジメント・育成
就職編Ⅱ後半 マネジメント・育成
転勤してみると、内情は思ったより最悪・・・
・上司と部下の男女間の縺れから、社内は疑心暗鬼。
・運営部門のセールスマン5名中、1人は出社拒否、1人は退職予定
1人は新人、1人はアルバイトという状態。
・売上の低迷と、個人的借金により不正まで起こる始末。
半年間は、8時~24時までという、16時間勤務が続きました。
人員の補充と研修、その間に、売上の確保もしなければならない。
まったく土地感もないため、時には39度も熱がある社員を出社させ、「運転と訪問は俺がやるけん、道案内だけでも頼む」と言って、連れまわした事もありました。
そんな間、支えてくれたのが現在の妻で、その当時は、付き合いだしたばかりの彼女でした。
試行錯誤を繰り返しながら、部下と自宅で鍋パーティーを開いたり、コミュニケーションを深めていくと、数字のほうもだんだん安定してきました。
同時に、商品アイテム数を絞り、原価の安いものにし、在庫も出来るだけ、持たないようにすると、ついには黒字になり、1年後には完全な黒字営業所へとなりました!!
運営部門の人員も6名~7名へと増員。
しかし、人員も数字も落ち着いてくると、ふと思う事が・・・・・
「営業を勉強する為に、入社したのに、気が付くと6年も務めているではないか!」
マズイ・・・・
自分で事業を起こしたという事から、離れてしまっているのです。
その時々の、目の前の事に必死になり、長期的な自分の人生計画をまったく考えてなかった事に気が付きました。
しかし、漠然として何をやりたいのか?どの商材で事業を起こせばいいのか?などを絞り込む事が出来ませんでした。
「そうだ!事業を起こすキッカケは、突然やって来るかもしれない」
「その為にいつでも自分がフリーになれる状態を作っておこう!」
と、又々勝手に思い込み、
「もう1段ステップアップすれば、見えてくる事が在るかもしれない!」
(実際、最初のステップアップで、仕事や、物事に対しての考え方が変わったので)という考えに達しました。
「その為には、今いる部下が自分のポジションに来れば、自分もステップアップ出来る又は、フリーになれる。」
そう考えた自分は、早速、3名の部下に声をかけました。(内1名は入社半年の新人です)
しかもなんとゴーマンにも「とにかく俺の言う事を聞け!絶対出世するけん!」などと、根も葉もない事を言ったのです。
う~ん・・・勢いのみで口走った98年、初夏の事でした。
目標は、全員一緒の”1つステップアップ(出世)する事”です。
その為にする事を、一人一人がブレイクダウンしていきました。
上手くいかない事もあるので、その都度、修正はしていきました。
そんな事を繰り返しやっていた99年1月、ついに人生のメンターとも呼べる人と出会ったのです。
その人は、いくつかの事業を起こしてきた人で、倒産させた事もあります。
しかし、転んでも立ち上がり、ある時ゴルフ場開発に失敗した時など、体を張って家族を守ってきた人でした。
そしてそのメンターとも呼べる人に、
「野心があるなら、俺のところに来い!」と言われたのです。
迷いは在りませんでした。しかしその時すでに、現在務めている会社から、ステップアップの内示があっていたのです。
しかし考えようによっては、ベストタイミングです。
現在お世話になっている会社は、そのポジションを離れても問題ないという事です。
起業に向けて、経営を学ぶ為にも、絶好のチャンスです。
ステップアップしてすぐに、「辞めます」という訳には行かないので、すぐに、その意思を会社側に伝えました。
話し合いの結果、7月退職という事が決まり、その後のポジションには、なんと、ブレークダウンとフィードバックを繰り返していた、3人の中の1人が、就く事となったのです!!
「ヨッシャッ!!!」「目標達成!!」
本人よりも、自分のほうが嬉しくてたまりませんでした(笑笑笑)
結局、残りの2名も、1名は半年後、もう1名はその1年後に出世しました。(笑笑笑)
当時1500名前後いた社員の中から、3人中3人、しかも同一内の小さな20数名しかいない営業所から、声をかけて、わずか2年での出来事です!
(その知らせを聞いた時は、すでに退職していましたが、同じように真剣に嬉しくて電話をしながらガッツポーズ(死語?)をしたのを覚えています。)(笑)
自分はというと、同期や部下、他の部署の上司から
「一部上場企業での出世を蹴るなんて、なんごとですか?」
等と言われましたが、自分の長期的なライフスタイル考えた場合、絶好のチャンスでしたし、本来、営業を勉強する為に入った会社なので、出世はおまけです。
むしろ部下を育成する機会を持てた事が、なによりの収穫であり、喜びでもありました。
その後メンターとも呼べる人の元で又一から修行、50人前後の小さな会社ですが
下積み→課長→部長→取締役と実践を重ね、同時進行で飲食店を経営、コーチングと出会い、日本で初めて国際コーチ連盟認定のプログラムとして認められたコーチ21で学び、コーチとして現在に致っています。
今までの人生を振り返ってみると、ずいぶん回り道をしました。
前半は不幸に次ぐ不幸の連続?
中盤は周りへのを迷惑も考えることなく、好き放題やった時期
後半は、何とか人並みになる為に、努力した時でした。
だからこれからは、
”人の役に立ちたい!ありがとう!と言って貰える人になろう!”
との思いからコーチの道を選びました。
そして、あなたが一直線に目標にたどり着く事を、何より願います。
ご存知の通りとても人に自慢できるような、話はありませんが、沢山の経験と実践だけはあります。
自分の事を少しでも知って頂ければと思い、包み隠さず、つづってみました。
大変長い、自伝とも言える、プロフィールを最後まで読んでいただき、本当に 「ありがとうございました。」
コーチングとの出会い
コーチングとの出会いは、偶然本屋さんで見かけた本が元で、パラパラと捲って見ると今まで自分が実践してきた事に非常に近く、「それならキチンと体系的に学ぼう」そう思い、日本で唯一、文部大臣認可の認定証を発行する、コーチ21で学んでいます。
コーチには完成がなく、ON GOING(常に現在進行形)である。
テーラーメイド(個別対応)である。
インタラクティブ(双方向)である。
以上の3点に、惹かれました。
以前に務めていた会社で、部下が出世出来たのは、その会社だから通用したとも考えられます。
ノウハウやティーチングは、通用する人と、しない人がいるのです。
その為の、テーラーメードと、自分にあったオリジナルのやりかたを見つける為の、双方向、時代は進化し続けますので、常に現在進行形が求められます。
今まで自分が体験してきた事を振り返ると、もっと早くにコーチングに出会っていれば回り道することなく、目標設定や行動がスムーズに出来たのにと思う事が多々思い当たります。だからあなたには、回り道をしてほしくない、もっと短い期間で目標達成をしてほしい、そう思えてしかたありません。
次に夢を実現させるのは貴方です。
目標を達成させるのは貴方です。
その為にお手伝いが出来れば嬉しく思います。
前向きな貴方には、コーチングは必ず機能します、そして前向きな貴方には、全力でサポートさせて頂きます。
可能性と才能を引き出す褒め方叱り方、心を育てる方法等、育児・子育てに熱いビジネスマンとママの家庭教育マガジンです。
子どもらしさを引き出しのびのび育てたいパパ&ママ、続々登録中です!!
メルマガサンプルはこちら
![[コーチCommunications]](http://www.1co-chi.com/images/communications.gif)

![[初めての方へ]](http://www.1co-chi.com/images/wakaba01.gif)
![[サイトマップ]](http://www.1co-chi.com/images/sitemap.gif)
![[極パパ?が子ども力を引き出す 痛快!子育てコーチング]](http://www.1co-chi.com/images/title_mini.jpg)








![[腐ってました(笑]](http://www.1co-chi.com/images/yoshi01.jpg)
![[モテモテを夢見て集まる野郎達!]](http://www.1co-chi.com/images/yoshi02.jpg)
![[バイク]](http://www.1co-chi.com/images/yoshi03.jpg)
![[大人気!無料セルフコーチング配信中]](http://www.1co-chi.com/images/selfcoaching.gif)
![[Missionこんなことを目指しています]](http://www.1co-chi.com/images/hero.jpg)
![[コーチングを受けた方の声]](http://www.1co-chi.com/images/koe.jpg)